生い立ち(17) [先天性]
こんな事もありました。
プロパンガスを交換する時、
多少残っている分が漏れる事もあるらしいのですが、
隣近所でガス臭いと騒ぎになりました。
主人も騒ぎ出し、ガス屋さんに連絡してチェックしてもらった事があります。
騒ぎのさなか、何度も何度も鼻をすすってみるのですが、
私には何も匂わないのです。
今は、ガス警報器を付けていますが、
匂いがわからないと、爆発や命の危険もあるのです。
主人と結婚して転勤族となり各地を転々とします。
その2つ目の勤務地で妊娠がわかり子供を授かる事になります。
妊娠中は体質が変わるのか、少しの風邪で喘息の発作を起こし、入院になりました。
数日で退院するも、また何故か安定期と言われる時期に、お腹がカチカチに張ってしまい、
24時間点滴に繋がれ出産まで退院する事はできませんでした。
プロパンガスを交換する時、
多少残っている分が漏れる事もあるらしいのですが、
隣近所でガス臭いと騒ぎになりました。
主人も騒ぎ出し、ガス屋さんに連絡してチェックしてもらった事があります。
騒ぎのさなか、何度も何度も鼻をすすってみるのですが、
私には何も匂わないのです。
今は、ガス警報器を付けていますが、
匂いがわからないと、爆発や命の危険もあるのです。
主人と結婚して転勤族となり各地を転々とします。
その2つ目の勤務地で妊娠がわかり子供を授かる事になります。
妊娠中は体質が変わるのか、少しの風邪で喘息の発作を起こし、入院になりました。
数日で退院するも、また何故か安定期と言われる時期に、お腹がカチカチに張ってしまい、
24時間点滴に繋がれ出産まで退院する事はできませんでした。
生い立ち(16) [先天性]
職場と家との往復、食への楽しみも見つけられない日々の中、
私にもご縁があり、結婚をして家を出る事になります。
今までは 料理好きな母の手伝いに入る事はあっても
味付けに関わる事はありませんでした。
しかし 主婦となり自分が作っていかなくては なりません。
主人は帰りも遅く、 料理中にあてにする事は出来ませんでした。
例えば カレーを作る時は、舌に感じるピリピリ感の強弱、
少しだけ、感じる事のできる塩味で判定し仕上げます。
主人が帰宅後チェックしてもらい、薄ければ カレー粉などを足す、
味噌汁も同様に色味と塩味のみで判断していました。
クックドゥとかはそのまま何もせず‥
この様にして日々の料理をしていました。
ある時は トースターでパンを焼いていて、真っ黒になった事がありました。
見ると 空間が煙で真っ黒です。
プライパンも焦がした事があります。
少しでも焦げた匂いがすれば普通は気付くと思います、
でも私には 全くわからないのです。
火事になる危険もあります、
この時から私は、タイマーをいくつも併用する様になりました。
私にもご縁があり、結婚をして家を出る事になります。
今までは 料理好きな母の手伝いに入る事はあっても
味付けに関わる事はありませんでした。
しかし 主婦となり自分が作っていかなくては なりません。
主人は帰りも遅く、 料理中にあてにする事は出来ませんでした。
例えば カレーを作る時は、舌に感じるピリピリ感の強弱、
少しだけ、感じる事のできる塩味で判定し仕上げます。
主人が帰宅後チェックしてもらい、薄ければ カレー粉などを足す、
味噌汁も同様に色味と塩味のみで判断していました。
クックドゥとかはそのまま何もせず‥
この様にして日々の料理をしていました。
ある時は トースターでパンを焼いていて、真っ黒になった事がありました。
見ると 空間が煙で真っ黒です。
プライパンも焦がした事があります。
少しでも焦げた匂いがすれば普通は気付くと思います、
でも私には 全くわからないのです。
火事になる危険もあります、
この時から私は、タイマーをいくつも併用する様になりました。
生い立ち(15) [先天性]
この生活を長年続け、学生から社会人となり、外の世界を知る様になると、
歓迎会や忘年会、新しいお店が出来たから‥等、誘われる機会も増えます。
しかし、この年齢になっても変わらず、視覚と咀嚼感(そしゃくかん)のみが
食べ物を味わう唯一の判断材料である私は、
この頃になると 食に対する欲が徐々になくなっていきました。
本来備わっているべき機能が欠損していた場合、
その人それぞれに感じ方や必要度が違います。
私にとって味覚、嗅覚障害は、前述の水物が持てない、歩きが遅いと同様に
生活に直結している必要な機能で、外の世界との関わり度合いと比例して、
苦痛が増していき、食への欲の減退に繋がっていきました。
この時期セルフネグレクトと申しますか‥
自分しか家にいない場合の食事を構う事をしなくなりました。
そうめんだけ とか、ご飯にキムチのせただけとか、栄養面でかなり偏っていたと思います。
しかし私にとっては何を食べても、咀嚼感の違いはあるものの 味はなく一緒で、
まるで砂を食べている様でした。
歓迎会や忘年会、新しいお店が出来たから‥等、誘われる機会も増えます。
しかし、この年齢になっても変わらず、視覚と咀嚼感(そしゃくかん)のみが
食べ物を味わう唯一の判断材料である私は、
この頃になると 食に対する欲が徐々になくなっていきました。
本来備わっているべき機能が欠損していた場合、
その人それぞれに感じ方や必要度が違います。
私にとって味覚、嗅覚障害は、前述の水物が持てない、歩きが遅いと同様に
生活に直結している必要な機能で、外の世界との関わり度合いと比例して、
苦痛が増していき、食への欲の減退に繋がっていきました。
この時期セルフネグレクトと申しますか‥
自分しか家にいない場合の食事を構う事をしなくなりました。
そうめんだけ とか、ご飯にキムチのせただけとか、栄養面でかなり偏っていたと思います。
しかし私にとっては何を食べても、咀嚼感の違いはあるものの 味はなく一緒で、
まるで砂を食べている様でした。
生い立ち(14) [先天性]
本来なら 心配して、私をすぐに病院に連れて行き、
判明しなければ もっと大きな病院に‥とするのが
親だと思うのですが、
母を含めた私達家族は、情が薄いと言いますか‥他人事なのです。
治療をしていなかった訳ではありません。
近くに耳鼻科がありましたので、吸入や薬を処方して頂いていましたし、
鼻がつまっていない時もありました。
しかし、味や匂いもわからないのです。
3.4年生くらいになると、遠足等でお菓子の交換をしたのですが、
「おいしかったでしょ?」と聞かれて味がわからない‥とは言えず、
皆に話しを合わせる様になります。
判明しなければ もっと大きな病院に‥とするのが
親だと思うのですが、
母を含めた私達家族は、情が薄いと言いますか‥他人事なのです。
治療をしていなかった訳ではありません。
近くに耳鼻科がありましたので、吸入や薬を処方して頂いていましたし、
鼻がつまっていない時もありました。
しかし、味や匂いもわからないのです。
3.4年生くらいになると、遠足等でお菓子の交換をしたのですが、
「おいしかったでしょ?」と聞かれて味がわからない‥とは言えず、
皆に話しを合わせる様になります。
生い立ち(13) [先天性]
視覚では全て認識しています。
何を食べているか わかっているのですが、
味も匂いもわからないのです。
厳密に申し上げると酸っぱい、甘い、苦い、塩辛い
とか微妙に感じるのですが、味をとして全く伝わらず匂いもしないのです。
カレーを食べても舌がピリピリするだけ、
コーヒーは、黒い色の苦味のある水、
オレンジジュースは、若干 甘みを感じる酸っぱい水、
バニラアイスは、少し甘みを感じる冷たい物、
視覚で認識していても味として伝わらず、匂いも全くありませんでした。
ですので もし目隠しをしていたら
何を食べているか認識する事も出来なかった思います。
ある時 母に「ご飯おいしい?」と聞かれ、味も匂いもしない事を伝えます。
しかし「お父さんも鼻が悪いからね‥」の一言で終わってしまいます。
何を食べているか わかっているのですが、
味も匂いもわからないのです。
厳密に申し上げると酸っぱい、甘い、苦い、塩辛い
とか微妙に感じるのですが、味をとして全く伝わらず匂いもしないのです。
カレーを食べても舌がピリピリするだけ、
コーヒーは、黒い色の苦味のある水、
オレンジジュースは、若干 甘みを感じる酸っぱい水、
バニラアイスは、少し甘みを感じる冷たい物、
視覚で認識していても味として伝わらず、匂いも全くありませんでした。
ですので もし目隠しをしていたら
何を食べているか認識する事も出来なかった思います。
ある時 母に「ご飯おいしい?」と聞かれ、味も匂いもしない事を伝えます。
しかし「お父さんも鼻が悪いからね‥」の一言で終わってしまいます。
生い立ち(12) [先天性]
出産時の脱臼が原因なのか、お腹にいる時からはずれていたのか
はっきりとした原因がわからないまま、
思い通りに動いてはくれなかった私の足が、七条文堂さんという方と出会い、
大きく改善していく事になるのです。
その前にプロフィール欄にある嗅覚.味覚障害についてお話ししたいと思います。
私は 食べ物や金属などのアレルギー体質を母親から受け継ぎました。
強いアレルギー体質なので、ほこりなどのハウスダストも振り切る数値を示します。
冬など洋服の着替えでくしゃみが止まらなくなり
鼻の粘膜が腫れて鼻がつまる、その繰り返しでした。
父も副鼻腔炎がありました。
私には味や匂いがわかる‥といった記憶がありません。
健康な方々も 風邪をひいた時とかに一時的にわからなくなる事が
あると思いますが、それが永遠に続いているのです。
はっきりとした原因がわからないまま、
思い通りに動いてはくれなかった私の足が、七条文堂さんという方と出会い、
大きく改善していく事になるのです。
その前にプロフィール欄にある嗅覚.味覚障害についてお話ししたいと思います。
私は 食べ物や金属などのアレルギー体質を母親から受け継ぎました。
強いアレルギー体質なので、ほこりなどのハウスダストも振り切る数値を示します。
冬など洋服の着替えでくしゃみが止まらなくなり
鼻の粘膜が腫れて鼻がつまる、その繰り返しでした。
父も副鼻腔炎がありました。
私には味や匂いがわかる‥といった記憶がありません。
健康な方々も 風邪をひいた時とかに一時的にわからなくなる事が
あると思いますが、それが永遠に続いているのです。
生い立ち(11) [先天性]
また足首が固いからか原因はわかりませんが、
ミュールやサンダル、“つっかけ”などは履けません。
かかとにしっかりバックルのある物しか履けないのです。
足から脱げて その場に置き去りになってしまうか、
もしくは 足を前に出した時に反動で飛んで行ってしまうのです。
なかなか文字だと伝わりにくいのですが‥そういう状態になってしまうのです。
色々ありながら 懸命に生きてきた私ですが、
中でも生活に直結していて困っていたのが、
前述の水物が持てない事と、歩くのが遅い事でした。
皆の歩く速さに追いつかず、その距離を埋める為に、いつも いつも小走りしなければならず、
情けなくてまた自分に対する嫌悪感でどうしたら良くなるか、もがき苦しみました。
整形外科の門をたたきMRIを取ったり リハビリしたり、
股関節が悪いなら人口関節にすれば‥と考え
人口関節センターに行ったり、市内、市外問わず
口コミを参考に整体に行ったりしました。
しかし、改善する事はありませんでした。
ミュールやサンダル、“つっかけ”などは履けません。
かかとにしっかりバックルのある物しか履けないのです。
足から脱げて その場に置き去りになってしまうか、
もしくは 足を前に出した時に反動で飛んで行ってしまうのです。
なかなか文字だと伝わりにくいのですが‥そういう状態になってしまうのです。
色々ありながら 懸命に生きてきた私ですが、
中でも生活に直結していて困っていたのが、
前述の水物が持てない事と、歩くのが遅い事でした。
皆の歩く速さに追いつかず、その距離を埋める為に、いつも いつも小走りしなければならず、
情けなくてまた自分に対する嫌悪感でどうしたら良くなるか、もがき苦しみました。
整形外科の門をたたきMRIを取ったり リハビリしたり、
股関節が悪いなら人口関節にすれば‥と考え
人口関節センターに行ったり、市内、市外問わず
口コミを参考に整体に行ったりしました。
しかし、改善する事はありませんでした。
生い立ち(10) [先天性]
父はもう数年前に旅立っています。
しかし、親の育て方、関わり方、幼少期の体験が、
自分の人格形成に これ程までに影響があるとは思いもせず、正直 驚いております。
父の機嫌に左右され、怒鳴られ 怒鳴られ 殴られ、
育った私たち双子、弟の人格形成にも影を落としていく事になります。
先天性疾患にお話しを戻したいと思います。
私の足は お話してきた様に引きずらないと歩けません。
例えば 水物です。
フードコートなどに行った時、水をコップに汲みます。
ゆっくりゆっくり持って来ても、
自分の席に到着する頃には半分ありません。
身体が必要以上に揺れて半分以上こぼれてしまうのです。
それを知っていますから、慎重に一足一足、ゆっくり運びます。
そのゆっくりな加減が、健常な人には異様に映るのか、
ジロジロジロジロ、目で追われる事になります。
しかし、親の育て方、関わり方、幼少期の体験が、
自分の人格形成に これ程までに影響があるとは思いもせず、正直 驚いております。
父の機嫌に左右され、怒鳴られ 怒鳴られ 殴られ、
育った私たち双子、弟の人格形成にも影を落としていく事になります。
先天性疾患にお話しを戻したいと思います。
私の足は お話してきた様に引きずらないと歩けません。
例えば 水物です。
フードコートなどに行った時、水をコップに汲みます。
ゆっくりゆっくり持って来ても、
自分の席に到着する頃には半分ありません。
身体が必要以上に揺れて半分以上こぼれてしまうのです。
それを知っていますから、慎重に一足一足、ゆっくり運びます。
そのゆっくりな加減が、健常な人には異様に映るのか、
ジロジロジロジロ、目で追われる事になります。
生い立ち(9) [先天性]
結局 「教育のカリキュラム」からも外れた私は、
学校も地獄 家も地獄で、心休まる 安心できる場所がどこを探してもありませんでした。
今の様にネットカフェや漫画喫茶がない時代です。
自覚は全くありませんでしたが この頃の私の心はもう
何処かに置き去りになったまま、抜け殻が 毎日を過ごしていたと思います。
抜け殻が‥と記しましたが、この様に振り返りながら綴っていると、
家の状態は ちょっとおかしい!と気付きます。
ですが当時は混乱の渦中にあり、
また親という存在の比較対象もありません。
自分自身の知恵もなくそこにいる道しかなかったので、
私の神経は、常に緊張状態を強いられていたと思います。
私は50歳をとうに過ぎている年齢ですが、
今でも威圧的な態度の人に関わると、自分の意思に反して、
身体が硬直してしまったり、言葉を発する事が出来なくなってしまったり、
相手の表情に敏感だったり、人との関わりにとても苦労しています。
学校も地獄 家も地獄で、心休まる 安心できる場所がどこを探してもありませんでした。
今の様にネットカフェや漫画喫茶がない時代です。
自覚は全くありませんでしたが この頃の私の心はもう
何処かに置き去りになったまま、抜け殻が 毎日を過ごしていたと思います。
抜け殻が‥と記しましたが、この様に振り返りながら綴っていると、
家の状態は ちょっとおかしい!と気付きます。
ですが当時は混乱の渦中にあり、
また親という存在の比較対象もありません。
自分自身の知恵もなくそこにいる道しかなかったので、
私の神経は、常に緊張状態を強いられていたと思います。
私は50歳をとうに過ぎている年齢ですが、
今でも威圧的な態度の人に関わると、自分の意思に反して、
身体が硬直してしまったり、言葉を発する事が出来なくなってしまったり、
相手の表情に敏感だったり、人との関わりにとても苦労しています。
生い立ち(8) [先天性]
父の考えに誰一人そむく言葉は出来ないので、
いつまでも エアコン無し、電子レンジ無し、
テレビも居間に小さいのが1台のみ、そんな家でした。
2階への階段を上がった処に私の部屋、その隣に父の部屋がありました。
私の部屋は、入口は ふすま1枚、鍵などありません。
寝る時に 階段を上がって来た父が、私の部屋で物音がしないか
階段途中で立ち止まり、様子を伺うのです。
物音が少しでもすれば入って来られ、怒鳴られ げんこつを振り下ろされる。
何が理由か忘れましたが、父のかかとが身体の上に降りてきた事もあります。
毎日毎日、恐怖で恐怖でなりませんでした。
2階で父の怒る声がすると母が仲裁に来てくれるのですが、
私が何を言っても、「ああいう人だから仕方ない」、「あきらめなさい」、
「我慢しなさい」としか言ってもらえず、
父の事に関しての私の訴えに寄り添ってくれる事はありませんでした。
いつまでも エアコン無し、電子レンジ無し、
テレビも居間に小さいのが1台のみ、そんな家でした。
2階への階段を上がった処に私の部屋、その隣に父の部屋がありました。
私の部屋は、入口は ふすま1枚、鍵などありません。
寝る時に 階段を上がって来た父が、私の部屋で物音がしないか
階段途中で立ち止まり、様子を伺うのです。
物音が少しでもすれば入って来られ、怒鳴られ げんこつを振り下ろされる。
何が理由か忘れましたが、父のかかとが身体の上に降りてきた事もあります。
毎日毎日、恐怖で恐怖でなりませんでした。
2階で父の怒る声がすると母が仲裁に来てくれるのですが、
私が何を言っても、「ああいう人だから仕方ない」、「あきらめなさい」、
「我慢しなさい」としか言ってもらえず、
父の事に関しての私の訴えに寄り添ってくれる事はありませんでした。